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マイジャーナル / 2004年9月〜12月 A Christmas Gift, Non-Stop tour, David Matthews Quintet |
クリスマスとお正月をはさんだホリデイシーズンは、私に喜びと幸せなひとときを与えてくれます。自分が一年を通して授かってきた沢山の幸せを、周りの皆さんへお返しできるからです。皆さんの愛情が色々な形で表現できたこと、特に今年で4年目となるクリスマス・チャリティ・コンサート「クリスマスギフト2004」を通じて「音楽」という天からの贈り物を分かち合うことが出来たのは素晴らしいことでした。ビコーズ・ウィ・ケア基金を代表して、温かい心に満ちた私の友人達へ、コンサートを成功に導いてくれたことに改めてお礼を言いたいと思います。
このクリスマスコンサートの実現には、多くの皆様、とりわけ西町インターナショナルスクールのコーラス、アンサンブル・ローダティオ・クラシックグループ、ギタリストの岩谷耕資郎、レックス・アンへレスとフルーツ・オブ・ザ・スピリットそれにボイスクラブのメンバー等、出演者達の愛情に満ちた労力に支えられてきました。その素晴らしいパフォーマンスと多大な努力によってコンサートは大成功を収め、チケットの売り上げも最高のものとなりました。
今回の収益金は、今年中に寄付先へ直接渡されることになります。フィリピンを中心に、孤児や貧しい子供達の救援活動をしているリトルエンジェルズ孤児院とカップルズ・フォー・クライスト・ガワード・カリンガの二団体、また今回は新潟中越地震の被害に遭われた方への寄付金となります。
こうしている中にも今日の世界では最近の津波の被害などで大勢の人が苦しんでいます。新年2005年を、希望と変革、そして先行きに対する不安が入り混じった気持ちで迎えました。新年が明けましたが、私たちに出来ることは、祈り、そして助けを求める人に対して手を差し伸べるよう団結することです。
昨年2004年は私にとって、感謝すべき年でした。特に「ノンストップ・トゥ・ブラジル」のCD発売以降は文字通りノンストップの忙しい毎日でした。2004年最後の3ヶ月は、私のブラジリアンフレンズ、パウロ・ゴメス(ピアノ/キーボード)とフランシス・シルバ(パーカッション)、そしてブラジル音楽専門に活動しているギタリストの小畑和彦と共にプロモーションのツアーに行ってきました。彼らとは今までに何度も一緒にやってきましたが、今回は、パンデロ(タンバリンの一種)のエキスパート、フランシスが参加したことによって、情熱的なラテンのリズムが加わり、音楽がさらに深くなりました。
私たちは青森県を何ヶ所かまわりました。柏村ではシネマシアターが会場だったので、その音響効果の素晴らしさを体感できました。また、さらに黒石では、日本の昔ながらの酒蔵でも演奏することができました。音響が良いのはもちろん、聴いている方々の温かさ、その包容力にみんなの気持ちが高ぶりました。そこは「こみせ」と呼ばれる日本の伝統的建造物が残る通りで、ショッピングアーケードに木製のひさしを連ね、人々を冬の吹雪や夏の日差しから守るといった仕組みになっています。こちらは国の重要文化財に指定されており、酒蔵や色々な店が並ぶ姿はこの土地の豊かな歴史文化を感じさせてくれます。
もう一つ私にとって大きなイベントが9月の後半にTokyo TUCにて行われたベニー・パウエル6重奏団との共演でした。ベニー・パウエルはカウント・ベイシー楽団で12年に亘り活躍し、同楽団の永遠の名盤「April in Paris」に残る、彼の8小節のソロは有名ですが、今までほとんどの有名なミュージシャンと共演したのではないでしょうか。
ベニー・パウエルのディスコグラフィは過去50年のジャズ史を物語れるものです。彼は70歳を迎えてから、ようやくトロンボーン奏者ベニー・パウエルとして大きく認められました。こんなにも多才かつ完成された伝説の奏者と共演できたことは私にとって大変名誉なことでした。
10月には、私の友人でもあるピアニスト兼ボーカリストのジェレミー・モンテイロをシンガポールから招き、日本で共演することになりました。通称「シンガポールのスイング王」とも呼ばれるほど、彼は世界各地で音楽評論界を賑わせてきました。私とは、以前日野皓正率いる「アジアン・ジャズ・オール・スター」のメンバー同士として共演したのが初めてで、共に北米やアジアをまわった仲間です。今回、オーストラリア出身の女性ベーシスト、ベリンダ・ムーディも参加しました。彼女はもう20年にも亘り各国を行き来する国際派で、メルボルン、アムステルダム、シンガポールを拠点にするほか、2003年以来東京にも拠点をおいていました。世界でも数少ない女性ベーシストとの初めての共演です。強力なドラマーとして、セシル・モンロー、広瀬潤次それに本田珠也の3人が各会場でそれぞれ加わりました。才能あるアーティスト達と共に奏でる音楽は感動的で、とてもパワフルなものだと感じました。
11月に私は家族を訪ねてカナダのマニトバへ行き、とても充実した時を過ごしました。その後、妹の住むミネアポリスに移動して、現地のジャズシーンを探索してきました。ミネアポリスのダコタ・ジャズ・クラブはアメリカ国内でも有名な一流ジャズクラブで、大物ミュージシャンから将来有望なスター候補を見つけるには最高の場所です。私はその夜演奏していた地元のバンドをバックに飛入りで歌い、ミュージシャン、観客と共に大いに盛り上がりました。店内は温かい雰囲気のスペース、音響も良しといった完璧な組合せでした。一度将来ここで歌えればいいなと思いました。
12月は一番忙しい月でした。チャリティコンサートの準備、リハーサル、ミーティングにワークショップ、それにライヴもあって、目の回る日々。どんなことも成功のために一生懸命になると、なぜか力が溢れてくるもので、なんとか成し遂げることはできたのですが、チャリティコンサート当日、とうとう声が出なくなってしまいました。その時私は改めて、いかに自分が無理をしてきてしまったことに気付きました。自分が歌えないというめずらしい状況でしたが、それでも幸せなことに私は後悔ひとつしませんでした。出演者と一体になり指揮をとりながら、心をこめて歌っている生徒達の顔をみて、私たちからのメッセージを伝えることができる音楽への愛を分かち合える事が出来たからでした。
前半にも記していますが、去年は私のブラジリアンアルバムプロモーションのため、本当に多くの時間を費やし、多くのライヴを行なってきました。クリスマスライヴは浜松、吉良、名古屋の三ヶ所でしたが、名古屋ではジャズラブ・オーケストラと共演しました。ビッグバンドサウンドは本当に心躍らされるものでした。Body & Soulでのライヴは、ニューヨークから13年ぶりに帰国した井上陽介と久しぶりに共演でき、ピアノの大石学、ドラムの広瀬潤次と共にノスタルジックな思いがこもった、特別なショーとなりました。
もう一つ12月の大きなイベントと言えば、キャピトル東急ホテルのディナーショーでのデビッド・マシューズ・クインテットとの共演でした。今となっても信じがたいことですが、デビッド・マシューズはかつて70年代はファンクの伝説でもあるジェームズ・ブラウンのアレンジャーであり、作曲家、ディレクターでもありました。今では日本で絶大な支持を受けるマンハッタン・ジャズ・クインテット(MJQ)やマンハッタン・ジャズ・オーケストラ(MJO)のリーダーとして活躍しています。両グループとも80年代中心にキングレコードから多くのアルバムを出し、またアルバムの共同プロデューサーとしてもSteve Gaddやミシェル・カミロ、MJQメンバーでもあるルー・ソロフとジョージ・ヤングと共に活動し、日本のジャズ界におけるこれらのアーティストの知名度に大きく貢献したことでも知られています。
デビッド・マシューズとは以前、他のディナーショーでも共演したことがあるのですが、クインテットとしては初めてで、メンバーのルー・ソロフが私のそばでソロやアドリブを披露してくれたのはとても印象的でした。素晴らしい!の一言につきます。
皆さんがこのギグレポートをお読みになるころには、「ノンストップ・トゥ・ブラジル」のアルバムでスイングジャーナル誌主催『第38回(2004年度)ジャズ・ディスク大賞 ボーカル賞(国内部門)』の発表が済んでしまっている頃だと思います。私をサポートして下さっている全ての皆さんに改めて御礼を申し上げます。新年をこんな形で迎えられるなんて嬉しい限りです! あなたにも新年が良い年となりますように。皆で夢をかなえましょう! |
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